独身時代を含め、オープン・クーペ・ステーションワゴン・セダンと乗り継いできました。
オープン時代に感じていた剛性感の無さを見事にクリアし、車選びにおいて決定的な価値観を与えてくれたのがその後乗り継いだ旧型の某欧州クーペでした。
その高速域までの安定感ときしみのない剛性感は自分にとって大変なインパクトでした。
ここですっかり車の運転そのものの楽しさを覚えてしまった自分は、脚周りから着手し、走りの向上やドレスアップにのめりこんでいきました。
休日には欠かさず車の洗車をし、美しい姿を眺めました。
数年が経ち、その走りの感触やカーライフの楽しさが忘れられないまま結婚し子供を授かり、それまでは自分自身の楽しみとして愛着をもって向き合ってきたクーペから、「家族」での時間を共有する車として同メーカーの一型新しいステーションワゴンに乗り換える覚悟を決めました。
しかしながら、同じメーカー、しかも型式の新しいものということで期待を膨らませ乗り込んだその車には、クーペにあった絶対的な剛性感はなく、走りの気持ちよさは半減以下になってしまっていたのでした。
ごく低速で市街のうねりのある曲がり角を曲がろうとするときしみ音とともにフロントとリアが別々の動きをするような感覚。
なんとか楽しみを見つけようとしても、窓を開けゆったりと海辺を流す以外に楽しみを探すことはできませんでした。
車は楽しむもの、手足のようにすら感じられた最高の相棒から、残念ながらただの移動手段としての道具に落ちてしまったのです。
さらに、子供の成長に伴い自分だけのものではなく家内も運転をするようになり、某ステーションワゴンと私達家族とのミスマッチはさらに大きくなりました。
私の住む地域は道幅も狭く、入り組んでいます。
運転初心者の家内にとってはこの地域での運転は困難でしかなく、車の四隅には次々と傷や凹みが増えていきました。
走りの楽しさがなくなり、洗車して美しい姿を眺めることもできない。
この時点で私の車に対する愛情は完全と言って良い程に消えかかっていました。
そんな折、車いじりの師匠とも言える方から教えていただいた車に、私は再び車好きを実感させられることになったのです。その車が現愛車のフォルクスワーゲン・ジェッタだったのです。
非常にマイナーで日本では「不人気車」と言わざるを得ない車種ですが、走りは絶品です。
ターボの過給とDSGによる前車と同じ排気量とは到底思えない加速感、きしみを全く感じない剛性感、それでいて後部座席は前車と同等の居住性を備えているし、ラゲッジスペースも同等に感じます。
まさに、走りを教えてくれたクーペと家族の共有スペースであったステーションワゴンの良い部分のみを掛け合わせたような車だと感じました。
セダンに共通するものかどうかはさておき、いつの間にか私にとって車選びの絶対条件となっていた走りの気持ちよさ、高剛性のボディによるリニアな動き、その双方を叶える車だったのです。
その走りの良さは、まさにクーペの楽しみそのものだったのです。
家族用としての車選びにおいて、一時は「我慢は一定仕方がない」と思っていた自分ですが、実際にその考えで選んだ車には我慢がしきれませんでした。後悔しかありませんでした。
そんな自分に、家族での車選びとはいえ、我慢をすることなく楽しみを取って良いと思わせてくれたのがジェッタであり、その一方で家族にも我慢を強いることなく快適に乗れてしまう車がまたジェッタなのです。
なんだかジェッタの売り込みのようになってしまいましたが、私の知り得るセダンはジェッタのみであるため、お許しください。今は一切の後悔なく、ジェッタのカスタムを楽しんでいます。
家内も取り回しの良さに満足してくれているようです。
車好き、走り好きの方、セダンは我慢なく楽しめます。