日産 フェアレディZは1969年にオープンカーのフェアレディに代わって登場しました。
当時、米国日産の社長であった片山豊氏の発案により企画されました。
それまでのフェアレディは小型スポーツカーということでインパクトに欠けており、片山氏はアメリカ市場のニーズにあった新しいスポーツカーを米国日産のイメージリーダーを日産本社に要望していたのです。
アメリカ市場のニーズを第一に考えられたフェアレディZは手堅い実用エンジンながら高いスペックが与えられ、欧州GTカーのような動力性能と優美なスタイリングを兼ね備えた存在としてアメリカで大ヒットしました。
またフェアレディZは日本でも販売されていましたが、スポーツカーとしては比較的安価なことから大人気の車種となったのです。
その後もフェアレディはフルモデルチェンジが繰り返され、2000年に4代目モデルのフェアレディZが生産終了するまで販売されました。
4代目フェアレディZはバブルの絶頂期に販売されたクルマということもあってコストが掛けられており、現在でも通用するほど流麗なスタイリングを実現していますが、全高の高いV型6気筒DOHCエンジンを低く抑えられたエンジンルームに押し込むこととなり整備性が悪くなってしまったのです。
この事が後にマイナーチェンジにて新型エンジンへ載せ替えるが持ち上がった際に、フルモデルチェンジに近い改造を加える必要があったため断念されることに繋がったのです。
そして4代目モデルの生産終了から約2年後の2002年7月に、5代目となるフェアレディZが登場しました。
それは業績が低迷していた日産の復活を告げる象徴として誕生し、初代モデルのように廉価な価格と流麗なスタイリングを纏った存在として生まれ変わりました。
その為、プラットフォームやエンジン・サスペンションなどをスカイラインと共有しており、開発費や生産コストの削減が試みられています。
2008年には復活後に初めてとなるフルモデルチェンジが行われ6代目となりました。
6代目モデルは5代目の正常進化型となっており、先代と同様にスカイラインとの共有パーツが多く採用されていますが、ホイールベース短縮に伴ってボディ後半部分は専用設計となっています。
フェアレディZは日本を代表するスポーツカーの1台といっても過言ではないクルマで、日本車離れした流麗なスタイリングはいつの時代もクルマ好きの心を虜にしてきました。
確かにミニバンやハッチバックモデルのような実用性とは無縁の存在で、使いにくい一面もあります。
しかし、スポーツカーとして一流の性能を有し、周囲を振り向かせる程のスタイリングを持ったフェアレディZは唯一無二の存在で、憧れている方には1度はハンドルを握って欲しいと思います。